まことの花はどうやって咲かせたらよいのでしょうか?
その解が本書に書かれています。
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現代語訳『風姿花伝』世阿弥は原文をわかりやすい言葉で伝えてくれている。原文で挫折した方には現代語訳がオススメです。
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ブログはキャリア構築にとって必要なインフラとなるか?-ハックルベリーに会いに行くから、『風姿花伝』を読もうと思いました。塩野七生さんの『マキアヴェッリ語録』が素晴らしいと思い、『風姿花伝』も同じ期待をこめて読んでみたところ期待を超えていました。
能や舞踊だけでなく、本書に書かれていることは仕事、趣味、何か達成させてたいことすべてに通じるものがあります。「年来稽古條々」を読むことで、自分が今取り組んでいることがどの段階に入っているのかがよくわかります。そして何をするべきなのかも。
例えば、大人になってから始めたクラシックバレエは大人でもその芸事に関しては赤子同然という認識が必要です。しかし、そのことを忘れがちでいきなり大きなことができる錯覚を抱いてしまいます。物事は一足飛びにはいかないのに。。天才と呼ばれる10000時間に相当する稽古が必要なのです。たいていの人はそのまえにあきらめてしまい、天才と言われる人はやり過ぎてしまった人なのでしょう。
以下、初心を忘れない大切さについての記述を引用させていただきます。
この道には、二つの天分がある。声と姿だ。この二つはこの年代には、はっきりあらわれる。若々しい盛りの芸の咲きはじめる時分でもある。すなわち一見しただけで、さてはうまい役者があらわれたものだと人も注目するところとなる。名人相手の芸くらべにも、当座の花ゆえのもの珍しさで競い勝つこともある。それで観客も喝采し、自分も得意になりだすのだ。このことは当人にとり、まったくもって仇となる。これもまことの花とはいえない。若さと見る人の珍しさゆえの一時の花である。まことの目利きは見分けるものである。
この時の花こそ初心のたまものと認識すべきなのに、あたかも芸を究めたように思い上がり、はやくも見当違いの批判をしたり、名人ぶった芸をひけらかすなど何ともあさましい。たとえ人にほめられ、名人に競い勝ったとしても、これは今を限りの珍しい花であることを悟り、いよいよ物真似を正しく習い、達人にこまかく指導を受け、一層稽古にはげむべきである。
この一時の花をまことの花と取り違う心こそ、真実の花をさらに遠ざけてしまう心のあり方なのだ。人によっては、この一時の花を最後に、花が消え失せてしまう理を知らぬ者も入る。初心とは、このようなものである。
本当にずっしりとくる言葉です。
父、観阿弥から伝えられたものを子孫に残そうとした情熱が伝わってきます。
600年前の良書を何度も何度も熟読したいものです。
でもこちらも気になっています。
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